2008年12月15日

ライブ三昧/その2 山崎直也トリビュート

二日目は横浜のサムズアップでの山崎直也のトリビュートライブ。彼ともいろんな事をやろうといってたのに何も出来なかった。彼が亡くなる数ヶ月前に友人と最近山崎君見ないねと話したのだが多分その頃彼は病魔と闘っていたんだろうな。そのライブの時にもいったのだが最近の批評家の人で見た事もないのに見たような事を書く人がいて(こういう時代だからインターネットで調べればだいたいの事が分ってしまう)ああいうのはどうかと思うという話からその点山崎はすぐに見に行くから凄いよなあと彼の名前がでたのだ。
彼がアメリカから帰ってくるとよく電話をくれて何処そこに若いけど凄いのがいますよとか,これこれと言うCDが良いですよとか,テキサスや南部の僕の知らないマイナーな情報を教えてくれた。最近僕がやりたいと思っているアーチストのWayne Hancockの事も彼と二人で盛り上がったことがあった。
それといつかイナタイ感じのバンドやろうよという話も実現できなかった。僕は良く彼になんで飯を食っているの?と冗談めかして聞いたのだが,麻田さんも養老院のホストをしてるっていう噂がありますよといって切り返されたりした。
ライブは彼の友人達総動員という感じで僕も,島田耕御大と一緒にジャンバラヤを歌わせてもらった。あの山崎君のトリビュートらしく友人達によるゆるいあったかいライブだった。誰かがいっていたが今頃はダグサムやフレディー・フェンダーとセッションしてるんだろうな。それにしても彼の居なくなった今誰があそこら辺の音楽の評論したり紹介したりするのだろうか。
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2008年12月11日

ライブ三昧/その1篠田正己生誕50歳コンサート

3日間続けてライブへいった。こんな事は何十年ぶりだ。

月曜日は篠ちゃんこと篠田正己生誕50歳コンサートへ行った。それはJAGATARAのOTOのミクシーで知った。
吉祥寺のスターパインカフェの客席はほぼ一杯だった。篠ちゃんが亡くなってから16年もたつのにこうして仲間が集まって
彼の事を思い出しながら演奏すると言うなんかあったかいライブだった。そこで昔知ってた人にも何人もあった。
僕にとっての篠チャンはJAGATARAの篠ちゃんでその他の篠ちゃんをあまり知らなかったが昨日のライブや映像で僕のしらない
篠ちゃんを知ることができた。彼と知り合うきっかけになったJAGATARAを教えてくれたのはカメラマンの桑元君か
イラストレーターの八木君のどちらかだった。最初のライブはどっかの学園祭だったが僕は彼らが凄く気に入って
その後も何度か彼らのライブを見に行たりした。そのうちOTOとアケミが相談があると行って事務所に来て
インディーズでは予算的に自分たちの作りたいレコードが作れないからメジャーでやりたいし
マネージングを頼みたいと言う話だったが、その頃はシオン,コレクターズ、コシミハルなどをやっていて
手が足りなかったせいもあってマネージングは出来ないけどといってBMGレコードを紹介した。
そして彼らはBMGで『それから』と言うアルバムを作った。そのレコーディングの途中でミックスをゴドウィン・ロギーでやりたいという話になって
そのコーディネートをしてOTOとアケミ夫妻と4人でパリへ行った。パリでのアケミは凄く楽しそうだった。
その後レコード発売のライブとか何回かのライブの後帰る方向が同じだったので
何度か篠ちゃんを送って行った。にこやかな顔で音楽に対する思いや社会の不条理などを熱く語ってくれた。
その中でいまでも覚えているのは当時彼が入れ込んでいたチンドンを外国に連れて行きたいという彼の思いだった。
そのことはその後も何度か聞いた.でも僕はその後あまりジャガタラとの接触がなくなって、篠ちゃんとチンドンが外国へ行けたかどうかは知らない。
そしてアケミ,ナベちゃん、そして篠ちゃんの死で事実上ジャガタラはなくなってしまった。僕はいまでもときどき『それから』を聞きながら
メジャーのレコード会社を紹介しなかった方が良かったのではと思ったりする。
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2008年12月04日

その2

『その1もあります』
 そういう状況の中から出て来たのがニューヨークのグリーンブライアー・ボーイズであり、ボストンのチャールズ・リヴァー・ヴァリー・ボーイズ、ジム・ルーニーとビル・キースなどだ。彼らが都会から出て来たブルーグラス・バンドのハシリとなった。同じ時期にウエストコーストで活動していたのが、後にザ・バーズに入るギタリスト、クラレンス・ホワイトが居たケンタッキー・カーネルズだ。当時、ビル・モンローやフラット&スクラッグスが東部や西部の都会に行く事はほとんどなかったようで、その代 わりと言ってはなんだが、しっかりしたマネージング会社がついていたNLCRは定期的にウエス
トコーストへ出かけていたらしい。これは僕の想像だが、ニューヨークからシカゴ、デンバー(ここにも有名なフォークロアセンターがあった)ロス、サンフランシスコといったツアーだったのではないかと思う。各地2、3日で場所は小さいコーヒーハウス。例えばロスは「アッシュ・グローブ」というコーヒーハウスのみに出演したらしい。というよりもそのくらいのオーディエンスしか居なかったのだろう。
 僕も1967年にアッシュ・グローブでNLCRを見たが、後で聞くと、デヴィッド・リンドレーもライ・クーダーも、リチャード・グリーンもダート・バンドのジョン・マッキュインも、そしてカーネルズの連中も皆、そこにいたらしい。いってみれば当時、フォークやブルーグラスに興味を持っていた若者が皆そこに行っていたという事らしい。それほど「生」でこの手の音楽が聴けるチャンスがウエストコーストには少なかったという事だろう。
 また、ヴィデオも小型テープレコーダーもない時代に、実際に見聞きするというのが、彼らミュージシャンにとって一番の勉強だったということです。だから本物の南部のブルーグラスが聞きたい若者は車で大陸横断してバージニアやケンタッキーのフィドラーズ・コンベンションや野外ステージのあるミュージック・パークなどに行っていたらしい。ブルーグラス少年だったジェリー・ガルシアとビル・モンロー命だったニュージャージーのデイビッド・グリスマンが最初にあったのも、確か南部ノース・カロライナ州のユニオン・グローヴで行なわれたフィドルコンベンションだったと聞いたことがある。
 とにかく、いまほど情報網が発達していなかった当時、特にこの手のマニアックな音楽の情報が伝わるのにはタイムラグがあったようだ。
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最近書いた事60年代の米国音楽状況その1

近況報告せよと言うミキシーからのおしかりで人のところに書いたものでかなりマニアックですけど載せます。
その1、(続きはそのうち)

 1960年当時の音楽産業の中心はなんと言っても東海岸だった。中心はニューヨーク、それに比較的近くのボストンによりアカデミックな音楽シーンがあり、シカゴがそれに続くという状況だった。
 西海岸はというと、やはり中心はサンフランシスコ(バークレーを含む)だった。クリス・ストラックウィッツのアーフリー・レコードもシスコの近くだった(当時の場所は知らないが、3年ほど前にお店に言ったら本人はしごく元気そうだった)。ロスアンジェルスには映画会社のワーナー・ブラザースから独立したW-B Recordsがあったが当初はポップスやサウンドトラック中心で、あまりアカデミックな動きはなかった。西海岸の老舗レコード会社のキャピタル・レコードもビートルズが出てくる前まではポップスとカントリー、それにランディー・ニューマンのおじさんのアッルフレッド・ニューマンなどの書く映画音が中心のレコード会社だった。ただフォーク界最大のヒット曲と
なったキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」はサンフランシスコで結成されたグループがロスのキャピタル・レコードからリリースしたレコードだった。

 というような状況の中、カレッジフォーク以外のトラディショナルフォーク、ブルース、ブルーグラスといったルーツ音楽は東海岸中心に広まって行った。その中心地がグリニッチビレッジのワシントン・スクエアーだった。そこでは週末に多くのニューヨーク在住のアーティスト/ミュージシャンが集まりジャムをして情報交換をしていた。
 バンジョーに関して言えば当時最高のプレーヤーといわれたロジャー・スプラング(当時、ニューヨークでただ一人、スクラッグス・スタイルのスリーフィンガースタイルのバンジョーが弾けたという人。シャンティボーイズ/フォークウエイズにバンジョーのレコード有り)、エリック・ダーリング(タリアーズ〜ウイーバーズ〜ルーフトップシンガース)、ディック・ワイズマン(ジャーニーメン)、エリック・ワイズバーグ(グリーンブライアー・ボーイズ〜タリアーズ)等が有名で、ほとんどのプレーヤーはアール・スクラックスを生で見た事さえなかったと言う。
 そういう中でトラディショナルな音楽をニューヨークに紹介したのが、『Friends Of Old Time Music』 (彼らがやったコンサートの未発表音源が聴ける3枚組CD集『Friends of Old Time Music: The Folk Arrival』がスミソニアン・フォークウェイズから出ている)という組織だった。1957年にグリニッチビレッジに開店したフォークローセンターというフォーク専門のお店の経営者、イージー・ヤング、プロモーターで後にジュディ・コリンズ他のマネージャーになるハロルド・レーベンソル、当時若手のフォークローリストでニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(NLCR)のジョン・コーヘン、グリーンブライアー・ボーイズのラルフ・リンズラー他の人達が中心になってFOTMでドック・ワトソン、ロスコー・ホルカム、フレッド・マクダウエル、ビル・モンロー、メイベル・カーター、ミシシッピ・ジョン・ハートといった、当時南部以外ではライブをやった事のない人達のコンサートをニューヨークでやった。
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2008年11月26日

ジェフ&エイモス、オーティス・クレイ/ライブアルバムCD化

1979年のジェフ&エイモスと1983年のオーティス・クレイのライブ盤がCDで再発された.この2枚は僕がプロデュースしてユピテルレコードで発売したアルバムのCD化だ。
初のオリジナル紙ジャケでの発売だ。(ジェフとエイモスは以前にジャケットをエリックヴォンシュミットによるTシャツ用のイラストに変えてCD化されたことがある)。
ユピテルレコードはすでに倒産して無いので今回はユニヴァーサルレコードから発売された。僕個人としては特にオーティスの方に思い出がある。確かこれはオーティスに取って4回目のツアーであの衝撃的な日本でのデビューから5年を経てお客さんのメンフィスのハイリズムセクションでオーティスを聞きたいと言う要望に応えてやったツアーだ.チャールス/オルガン、リロイ/ベース、ティーニー/ギターのホッジス兄弟にハワード・グリムス/ドラムと言うあのハイの黄金時代を支えたリズム隊にシカゴで活動していたホーンセクション.多分あの当時考えられる最強のメンツでのライブだった。このライブCDについては鈴木啓志さんの解説を読んでもらえると良いと思うが,僕に取って一番思い出すのはサザン・オールスターズの名曲エリーをオーティスに歌ってもらった事だった。レイ・チャールスがレコーディングするずっと前で、当時は日本の曲を外人アーチストに歌ってもらう等事などあまりなかったから正直言って歌ってもらえるか心配したがオーティスは快くやってくれた。僕の友人の英語詩の聞き取りなどをやっていたリンダさんに頼んで訳詞してもらい彼女の友人であった桑田君のお姉さんを通して桑田君の許可をもらった。そのお姉さんが最近亡くなった。そして偶然にこの時のツアー中に札幌の空港でサザンとすれ違った。二人はほんのちょっとしか話すことができなかったが桑田君も喜んでくれていた。
そんな事で何かと因縁めくが僕にとっても懐かしい思い出のレコードがCD化された事は嬉しい。良かったら聞いてみてください。
ジェフ・マルダー&エイモス・ギャレット/ライブ・イン・ジャパン UPCH-20119 \2100,
ライブ・アゲイン/オーティス・クレイUPCH-20122/3 \3800

 
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2008年11月18日

クレア・マルダー

小さい頃から知っているジェフの娘クレアが、あんな素晴らしいCDを作った事に実はちょっと驚いた。まあ、こだわりのジェフ・マルダーの娘だからそのうち何かをやるだろうとは思っていたけれど期待を遥かに超えるできだった。輸入盤でも随分と売れたようだがうるさがたの音楽ライターも絶賛しているアルバム「The Movie」は、トリフォーの映画にインスパイアされたと言うだけにヨーロッパ的なテイストだけど、やっぱりバーバンク風にも聴こえる摩訶不思議なサウンドだ。この秋発売になった日本盤のボーナストラックのTears for Fearsの大ヒット曲ルール・ザ・ワールドは秀逸。ヴァン・ダイク・パークス、スフィアン・スティーブンス、異母兄弟のジェニー・マルダー等それぞれが渋いけど好サポートをしている。マルダー家とは仲の良いウェインライト家の子供達(息子:ルーファス・ウェインライト、娘:マーサ・ウェインライト)には遅れをとったが、これでジェフもほっとした事だろう。このところ、ジェームス・テーラーの息子(ベン・テイラー)、リトル・フィートのローエル・ジョージの娘(イナラ・ジョージ)と二世アーティストの活躍が目立つが、それぞれ親の七光りではなくしっかりと自分を持ってるのがたのもしい。
クレアがアルバム「The Movie」の世界を、独特のバンド編成で、どういう風にライブで表現してくれるか今から楽しみだ。みなさんお見逃しのないように。
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2008年10月17日

ザ・コレクター コンプリートブック

僕の昔の事務所でマネージングしていたバンドザ・コレクターズの本”ザ・コレクターズ大頭鑑”(音楽出版社)が出た。彼らは多分日本で一番過小評価されていて、日本で一番もっと売れて良いバンドだと僕はいまでも思っている。でも親しい人達は麻田さんが最初に関わってその後やめると売れるから彼らもそのうち売れますよと言う。
多分それはトム・ウエイツやラモーンズやトーキング・ヘッズやピチカートファイブの例を指していうのだろうが、でも僕はその何十倍ものアーチストと関わって来て売れなかった人の方が遥かに多い。だからそれがそんなに簡単ではないという事を良く知っているし、また売れる事イコール全て良い事とはいえないが売れた方が良い事だと言う事も知っている。だから彼らには売れて欲しいのだ。彼らのやりたい事がよりやりやすくなるという点に置いても。
良く”right time, right place”という言い方をするが、確かにバンドなり人が売れたりポピュラーになるのにそれが必要な事もある。時代にうまく乗れるというのはその時代にそこに居ない事には話にならないという事だ。ただ波に乗っても乗り続けて行くのは大変だし、乗った事で目標を失ってしまったリ、もめ事になったりして活動をやめてしまう多くのバンドや人が居る。
また反対にずっと変わらずやっているうちに時代がついてくるという事もあるが今の日本の音楽業界でそれはとてもむずかしい。
でもザ・コレクターズはそれを今も続けている。彼らは去年の暮れに最新CDを出した。”東京虫BUGS”というタイトルでそれが凄く良かった。僕はその本のインタビューでも言ったのだが20年近くバンドをやっていてあれほど中身の濃いCDを出せるザ・コレクターに感心したし、またうらやましかった。願わくば時代がザ・コレクターズに追いついて欲しいと思うばかりだ。
ザ・コレクターズ東京虫BUGS/トライアドCOCP-51057(コロンビアレコード)
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2008年10月11日

仮装大賞とノーベル賞

仮装大賞は大好きで機会があれば必ず見る。今もダイジェスト版を見終わったところだ。仮装大賞の面白さの一番はなんと言ってもアイディアの素晴らしさとそれをどういう風に具体化するかというところににある。僕は特にばかばかしいやつが好きでこんな事やるかというのが好きだ。これって今の教育制度の真反対にあるようなもので人の考えないようなあっと驚くアイディアが面白いのであって、人と同じ事をやらないといじめにあうような今の若者の世界とは正反対なのだが、結構多くの若者や子供が突拍子もない事を考えて数分のパーフォーマンスに賭けている。
今年のノーベル賞も人のやらない事をこつこつとやった4人の日本人の先生方達が受賞した。なぜもっと早くと言う疑問は残るのだが、あれって昔だったから研究に専念できたのかなあ?今だったら友達や先生にばかにされて落ちこぼれの烙印を押されてしまうのではないかな?
益川先生だったか,今の教育制度に苦言を呈していらっしゃったが、今の日本の教育制度が間違っているのではと言う事が長い事言われて来て、こうしてノーベル賞受賞者の先生にそこを指摘され何も言えない文部省や親達もそろそろ考えを変えてはどうでしょう。そして子供達に人と違う事をやっても良いんだよといってあげたらどうでしょう。
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2008年10月03日

Pen

Penです。雑誌です。万年筆ではありません。僕はpenという雑誌をほとんど毎号買っている。理由は安いから。だいたい500円か600円。広告が多いのはこの値段からしてしょうがない。今回はピカソの特集、600円でピカソのアップデートされた情報がこれだけ集められのは多分penしか無い。今回は永久保存版ということで普段よりさらに力が入っている。ピカソの最新情報を世界からこれだけ集めるのは人、金と労力は相当かかったに違いない。カラーもふんだんに使って下手なピカソ本より内容は充実している。それでも600円と言うのが嬉しいではないですか。またPenの通常の記事としては冒頭の世界各地の裏情報,超仕事人といった記事も面白い。また今宵も一杯,笑う食卓といったエッセイも毎号楽しみにしている。特に立石敏雄さんの笑う食卓は同じ世代(多分)として共感する部分があっていつも真っ先に読む。僕は広告はほとんど飛ばして見ないので広告主にはあまり良い読者ではないかもしれないがこの広告があってこの値段なのだろうという事で広告に対してネガティブな考えは無い。値段だけ高くて内容の無い雑誌が多い中、Penにはこれからも頑張って欲しいと思う。
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2008年09月16日

スティール・ギター

先日古くからの友人の諸星兄弟が参加しているカントリーバンドを聞きに赤坂へ行ったのだが(兄はテレビでコメンテーターをやっていて、弟は今上映中のレス・ポールの伝記映画などを配給している会社に勤めている、この映画すごく面白いのでぜひご覧になってください)そこでこれまた古い友人の野坂氏にあって以前日記にも書いたライ・クーダーのスティールギター好きの事やバック・オーエンスの事を話した。実は僕自身スティールの事はあんまり良く知らなくてあたかもビグスビーが最初のスティールギター製作者の様に書いてしまったが実はラップスティールはフェンダーの方が早く発売してたという事を野坂氏に指摘されてしまった。レオフェンダーはそのスティールを元にエレキギターを作ったという事も教わった。(もしかしてこれって常識?)という事はリッケンバッカ−なんかももビグスビーより早いのかなあ?ビグスビーはメカ好きだったという事をどこかで読んだことがあったのでスティールギターは彼が開発したと思っていた私の勘違いでした。訂正します。
確かにペダルスティールはビグスビーが開発したらしいが今となってはそれも確かではない。出来ればどなたか簡単なスティールギターの歴史を書いてください。それにしてもカントリー、ハワイアン、果てまたベトナムのキム・シンさんまでスティールの音色ってなぜか郷愁を誘うと思いませんか?
そんな音が聞けそうなコンサートが10月3日に吉祥寺の曼荼羅2であるそうです。出演は駒沢&田村のスティールギタープレーヤーズ。詳しくは
http://www.myspace.com/gentamuraまで。
posted by 麻田 at 05:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記