2009年09月09日

本のお土産

友人がアメリカ土産に”What'd I Say" The Atlantic Story 50 Years of Music, Bluegrass odyssey. に Hot Burritos-The True Story Of Flying Burrito Brothers,といった分厚い本をくれた.アメリカは時間がたつと本が安くなるから自分が海外に行ったときは必ず本屋へ行ってバーゲン本を探す。もらったWhat'd I Sayも以前は100ドルくらいしてたのがなんと30ドル.でも凄く重い本だから持ってくるのは大変だったろうな。こうしてずっと欲しかった本をもらえるとすごく嬉しい。最初の2冊はめずらしい写真も多くさっと目を通しただけだが記事も面白そう。Hot BurritosはFBBに関してのインサイドストーリー的な本だが以前にここに書いたグラム・パーソンズとR&Bの関係が書いてあるので読んだら報告します。
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2009年08月24日

麻田浩トムスキャビンを語る

川村恭子さんがトムスの立ち上げの頃の話を聞きたいけど一人で聴くのがもったいないというので下記の様な企画を考えてくれました。
Tom's Cabin Night
麻田浩(語り手)・川村恭子(聞き手)
聴きたいけれど、どこも招聘してくれなかった、そんなアーティストを1976年以来次から次へと日本へ招いてくれたのがトムズ・キャビン。そんなトムズの話、音楽の話、招聘時の裏話などをお酒を飲みながら、アーティストの音楽を聴きながら、貴重な資料を見ながら、代表である麻田浩さんに話を聞きたいのです。
いらした方は気楽に飲みながら、質問があったらどんどんしてください。
初回のゲストは不明ですが、順次、トムズに関わった誰かをゲストに
お呼びしたいと思っております。
いらっしゃる方、もしお手元にトムズの当時の何かをお持ちでしたら
ご持参ください。
そこから広がる話もあるかも、ですよ〜!

open:19:00  Start:20:00
予約・当日/1000円+1drink order

巧く話せるか自信が無いので告知は2回目からと思っていたらラカーニアのオーナーが宣伝しなければだめですよというのでこれは宣伝です.実はこの企画は裏があって随分前からトムスの歴史を本にしましょうという話があって、
書くのは大変そうだなとうやむやにしてたのをもうそろそろ書かないと死んじゃうぞという事で川村氏が話だけでも録音しとこう、本人が死んだら聴けないんだからと企画を立ちあげた.という次第です。まあこれも一つの区切りだし無い記憶力をしぼって話をします.当時のプログラムやTシャツその他僕が持ってないものもあるかもしれないのでもしそのような物をお持ちの方はそれも持参で参加してください.もしかしたらサプライズゲスト有りかも。
宜しくお願いします。
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2009年08月04日

マイク・シーガー

利取兄さんも書かれていらっしゃいましたがニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(NLCR)のマイク・シーガーの病状があまり良くない様です.多分もう病院から自宅に戻っていると思いますが奥さんのメールでは非常に厳しい状況だそうです。僕は1972年、労音でやった当時の奥さんのアリスと一緒のアリス&マイク・シーガー・ツアーで彼と一緒に日本中を回った。その後アメリカのフェスなどで会うといつも『ヒロ、元気かい?』声をかけてくれた。僕の一つの夢だった1990年のNLCRのジャパン・ツアーの時も率先して他のメンバーのツアーガイドをやっていた。今年で解散と言う事を聞いてなんとかもう一度 NLCRツアーをと話をしていたんだけど『僕らも若くないからむずかしいなあ、でも二人に聞いてみるよ』と言ってくれた。その後日本でのライブインジャパンを含んだアリス&マイクのベストを出すから資料を探してくれとか、半年に一度は連絡をくれていたのにここのところ連絡が無く心配して、ハッピー・トラウムに聞いた所あまり良い状態では無いという事だった.その後入院したという事を聞いていたのだが、奥さんの言葉に寄れば本人が家に帰りたいという事で家へ戻ったらしい。ここのところデイヴィッド・グリスマンやライ・クーダーといったミュージシャン達が彼のレコーディングに参加したり、2年前のハードリー・スツリクツリー・ブルーグラスと言うSFのフェスでもNLCRのメンバーの中では一番元気そうだったのに。
とにかく元気になってもう一度彼のプレィを聞きたいと思うのは僕だけではないと思う。皆さんでそうなる事を祈りましょう。
写真は1967年のLAのコーヒーハウスアッシュグローブのチラシと1990年の日本公演のときのオフィシャルフォトです。

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2009年07月10日

ドニー・フリッツ・ジャパン・ツアー

トムス・キャビンもおしまいですと書いたのに,その舌の根の乾かないうちにこんな事書いても良いのかなと少々反省しておりますが、ありがたい事にトムスを応援しましょうという方が現れて今回トムス番外編が可能になりました。

エディ・ヒントンに続いてバリー・ベケットも亡くなってしまいあのマッスル・ショールズのサウンドを支えていたミュージシャンが少なくなってCDのクレジットに彼らの名前を見る機会も少なくなってしまいました。
そんな中、自身も肝臓の移植手術をへて元気になったドニー・フリッツがもう一度日本に来たいと言って来たのは半年くらい前でした。
トムス・キャビンのコンサートは観客動員数が減り、ついにダン・ヒックスで最後という状況の中,ダニーにも実現は難しいと言う返事をしたのですが、ラングラー・ジーンズや大阪ビッグキャッツの津田さんがぜひやりましょうと言ってくれたので、トムス・キャビンの”聞かずに死ねるか”の番外編としてツアーをやる事にしました。
という事でドニー・フリッツがマッスル・ショールズ・サウンドを支えて来たベースのデイヴィッド・フッド、カウボーイのスコット・ボイヤー,アメイジング・リズム・エイセスのケルヴィン・ホリー,マッスルショールズでのスタジオワークに加えてグレッグ・オールマンや,パーシー・スレッジなどのツアーにも参加しているN.C. サーマン,そして最近はプライムスのレス・クライプールのサポートで注目されている若手ナンバーワン・ドラマー、マイク・ディロンといったマッスルショールズの仲間を達を引き連れて来日し,ツアーをやる事になりました。マッスル・ショールズ関係のミュージシャンがこれだけそろって来日するのは初めてで久しぶりに南部サウンドが堪能できる事と思います。
ドニーはクリス・クリストファーソンのバンド・メンバーとして1974年に来日した時以来,実に35年ぶりの来日です。
ドニーは多分このメンバー達とトロイ・シールズとの共作”ウイ・ハッド・イット・オール”、ダン・ペンとの”レインボウ・ロード”、
エディー・ヒントンとの”ブレックファースト・イン・ベッド”、トニー・ジョー・ホワイトとの”サンピン・ファンキー・ゴーイング・オン”、スプーナー・オルドハムとのマイ・フレンド、等の名曲をスワンピーなサウンドで聞かせてくれるに違いないと思います。それとやっぱりカウボーイの曲も聴きたいな,出来ればラッセル・スミスは居ないけどアメージング・リズム・エイセスの曲も聞きたいな。
今回のツアーはラングラー・ジーンズと津田氏の多大なご協力で実現しました.感謝感謝です。

詳細はトムスのホームページを見てください。

http://www.toms-cabin.com/
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2009年06月20日

バリー・ベケット亡くなる

Barry Beckett - Roger Hawkins - David Hood -Jimmy Johnson
The Muscle Shoals Rhythm Section also known as The Swampers were
the session band that made Muscle Shoals Sound Studio world famous
マッスル・ショールスのスタジオ・ミュージシャンとしてプロデューサーとして数々のセッションで活躍したバリー・ベケットが亡くなった。古くはアトランティック系のソウル、からシェール、ポール・サイモン、ボブ・ディランと多くの名作に参加したキーボード・プレーヤー.いつか彼らをバックにダン・ペン、ダニー・フリッツ、トニージョー・ホワイトなどをヴォーカルにマッシュル・ショールズ・レビューを聞かずに死ねるかシリーズでやりたいと思っていたのにそれも出来なくなった。以前マッスル・ショールズ・スタジオに行った時、いつか日本に行ってみたいと行っていたのに。でもそれに近い物を今年中にやろうと思っている。
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2009年06月11日

ペティ・ブーカとカンパリ

このところ悩み多き日々が続いていたのだが嬉しい事が一つあった。イタリアの友人からジェシカ・アルバのコマーシャルでペティ・.ブーカの曲が聞けるよと言うメールが入った。
ハスキー・中川と一緒にプロデュースしたペティ・ブーカのダンシング・ウイズ・ペティ・ブーカの中のBla Bla Cha Cha Cha と言う曲がイタリアのカンパリ(ソーダ?)のコマーシャルで流れ出したらしい.ユーチューブのPetty Booka のBla Bla Cha Cha Chaで検索すると彼らの映像ととジェシカ・アルバ出演のコマーシャルが見れるので見てください。
ちなみにもうすでに20000 回以上のヒットがあるらしい。今までさんざん日本のコマーシャル業界の人に彼らのサンプルを送っていたのに曲は使われるけど音源は違うなんて言うのばかりだったから嬉しい。これがきっかけで彼らも売れてくれると良いな。
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2009年05月01日

ツアーこぼれ話(エイモスとライ・クーダー)

多分1968年頃ナシュビルのSho-Bud の店で(Sho-Budが楽器屋をやっているのは知らなかった.スティールギターメーカーとしては多分1950年代中頃からビジネスをやっていてShot Jackson とBuddy Emmonsの二人で始めた会社だと思う。一説にはBUDはBuddy Charltonだという説が有るがエイモスもそういってました、今回story of Sho-Bud Steel Guitarという記事が検索できたのでそれを見たら多分Buddy Emmonsでしょう)あの頃Sho-Bud の店にはナッシュビルのミュージシャンがしょっちゅう来ていて中古の楽器も山と有ったんだ。そこに古いストラトが4本も有るのを見つけて弾き比べて中で一番良いのを買ったんだ。
ペイントははがしてあったけど凄く良い56年のもので175ドルで買った。
それから何年かして、多分73,4年頃,だったと思うけどベターデイズの仕事でLAに行ったんだ。
その時フレッド・ワラキのWest Wood Music という楽器屋にいったらライ・クーダーがそこにいて、ワラキに彼のストラトを修理してもらいに来ていたんだ。
それをちょっとひかせてもらったらひどいもので、良くこんなのを弾いてるねって言ったくらいのものだった。
そこでその頃はエピフォンのシェラトンを主に使っていたんだけどいつもそのSho-Bud で買ったストラトも予備のギターでもっていっていたからそのストラトを車から出してこれがストラトだよって彼に弾かせたんだ.そしたらライは感激したのか涙を流していたよ.それからこれ売ってもらえますかって聞いて来たんだ。
安く買ってたから何かと交換なら良いよと言ったら、彼はナショナルのリゾネーターが真鍮のを持ってるけどと言ったのでじゃあそれを持って来てよ、
明日ここでまた会おうよと言って別れた。翌日彼が持って来たナショナルは確かに生産台数が少なくて珍しいし程度も良かったんだが僕の欲しい音では無かったので断ったんだ。でもライがあまりにもそのストラトをほしがったんで最終的に新品のミュージックマンのアンプと交換した。ライはそのストラトを確かレオ・フェンダーに頼んでターコイス・ブルーに塗り替えたようだよ.それもちょっと古い感じも入れてという注文もしたようだ。その頃はフェンダーに頼めば何でもやってくれたんだ。塗装はGMの車の色と同じ塗料を使っていたんだ、だから注文はシボレーのブルーとかビュイックの赤とか、で注文してた。Bop Till You Dropのジャケットに写ってるのがそのギターだよ。でも残念な事にそのギターは盗まれてしまったらしいよ。
この話をライの友人でありギターに詳しいアルマジロ氏に聞いた所『あのギターはライがレオ・フェンダーから直接買ったものだって聞いたよ。
またsho-budのBudはBud Issacだ』と言っておりました。聞いた話なのでどちらが正しいかは知りませんし、ジャケットに写っているギターが
エイモスが持ってたそのものかは別としてライがエイモスからストラトを手に入れた事は確かな様です。
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2009年04月27日

ツアーこぼれ話(グレート.スペクルド・バード誕生秘話)

エイモス/AG:1967年dirty shamesが解散して僕はデーブ・ブルーベックの息子と彼の友人と3人で新しいバンドをやり始めたんだ、
6ヶ月ほどリハーサルをした所で彼らアメリカ人が徴兵で呼ばれてそのバンドも解散状態になった。ちょうどその頃イアンから(イアン&シルビア)カントリー・ロックバンドを作りたいから協力してくれと言う電話があったんだ。彼はフォーク出身だからロックの連中を知らなかったから僕に電話をして来たんだ。でもイアンはそれ以前からカントリーロックのバンドを作りたくてそのことをジム(ロジャー)・マッギンと話したことがあると言っていた。
麻田/HA: という事はジムがチャド・ミッチェル・トリオのバックをやってる頃?
AG: いやもう彼がバーズを始めた後だ.フォークロックで売り出した後ジムも次のサウンドを探していて、カントリーサウンドにもっとタイトなリズムセクションを入れたグループを作るという事で二人で大いに盛り上がったといっていた。それで先ずベースとドラムを探して、ベースのKen Kalmusky, ドラムの Ricky Marcus,を見つけて、スティールギターはBill Keithに頼んだんだ。
HA: どうしてビルを知っていたの。イアン&シルビアとクエスキンジャグバンドが同じマネージャーだったから紹介されたの? (当時イアンとシルビアもクエスキンジャグバンドもディラン、PP&Mと同じアルバート・グロスマンのマネージングだった)
AG: いやビルとは彼がジム・クエスキンのバンドの頃から何度かトロントに来ていて僕もDirty Shameをやっていたから知ってたんだ。グロスマンの事は偶然だよ。それからバンドのメンバーが揃ってリハーサルもやりいくつかのツアーもやったんだけど先ずビル・キースがツアーに出たくないと言い出して、まあビルはバンジョーほどスティールが巧くなかったからしょうがないという事になり彼の代わりを探す事になった。
イアンの友人のフォークシンガーでカントリー好きの男がナシュビルで行なわれたスティールギターのコンベンションに行きそこでバディ−・ケージを見たんだ.それで彼に君は何処からきたんだいミシシッピーそれともケンタッキーかい?と聞いたらいや僕はカナダのトロントだよと言われて帰って来てすぐにイアンにそのことを伝えたんだ.
バディーはそれまでトロント郊外の飛行場近くのバーで毎日カントリーを演奏してたらしいんだけどトロントにはほとんど来る事がなくて僕らも知らなかったんだ。
その後rickyが彼の個人的な理由でやめてフェリックス・パパラルディーにマウンテンのドラムNDスマートを紹介されたんだ。
ドラムが良くなると前々から気になっていたベースがだめだという事をイアンが言い出してJIm Colgroveが入ったんだ。
僕としては自分がいたからという訳ではないがこのメンツのGSB(グレート・スペクルド・バード)が一番良かったと思う.日本にもこのメンバーで来たよ。
HA: 当時はどういうサウンドを目指していたの? 
AG: どちらかと言うとナッシュビルよりウエストコーストのカントリー、つまりバック・オーエンスや、マール・ハガートといったバンドに近いものを目指していたね。それにちょっとサイケデリックの味付けをした様なものかな。
HA: レコードを聴くと君のギターのフレーズがドン・リッチみたいなサウンドに聞こえたよ。
AG:  そうだねカントリーロックという事でドン・リッチ、それとマール・ハガードのギターのロイ・ニコルスやジェリ−・リードなんかは良く聞いていたよ。
HA: 最近大阪の万博のテープを聞くことができたんだけど僕がずっとバディ・ケージが考案したフレーズだと思っていただんだん音程をあげていくフレーズを君がひいているんで驚いたんだけど。
AG: あああれは昔僕が良くひいていたフレーズでその後バデイが使いだしたんだ.今では彼の特徴的なフレーズになってるね。
HA:  それとレズリーみたいな音もしてるよね。
AG: そうスタジオではレズリーを使ってたけどツアーとかへは持って行けないのでアコーディオン用のアンプとかエフェクターで代用していた。
HA:  そして1970年にJeff Gutcheonが入って、でもエイモスはそのすぐ後にやめてしまうんだよね。
AG:  そう僕の代わりにDavid Wilcoxが入ったんだ、その後バディがニュー・ライダースをやるんでやめてBen Keithが入った。
HA:  そのメンバーが後になってハングリーチャックになるんだよね?
AG:   そうでもその後もGSBはメンバーは変わってドラムにはBilly Mandeが入り、ギターはゴードン・ライトフットとやってたRed Shea,ピアノはジェリコのGodon Fleming,ベンキースの代わりにJIm Baker,最後までいたジム・コルグローブもRolly Sallyに変わった。
HA:  でもそれだけのメンバーが参加していたなんて凄い事だよね。
AG: そうだね多分これだけメンバーチェンジがあってもクオリティが下がらなかったバンドは珍しいんじゃないかな。
   それと皆それぞれが今も活躍してるというのも凄いね。
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2009年04月06日

エイモスが歌うパーシーズ・ソングス

いよいよ今週の11日からエイモス・ギャレットのパーシー・メイフィールドを歌うツアーが始まる.前回は特に東京なんかは会場が小さくて聞けなかった方が多かったのですが、今回はクアトロですから大丈夫です。初来日の頃からRivers Invitationなどパーシー・メイフィールドの曲を歌っていたエイモスならではの年期のはいったパーシーズ・ソングが聴けると思います。前回見逃した方、またCDでパーシーの曲に始めて触れた方、ぜひぜひご覧になってください。詳しい全国スケジュールはhttp://toms-cabin.com/でどうぞ。
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2009年04月03日

3/31 ロス/J J Caleを聞きに

皆さんからSXSWのレポートが無いとしかられている私ですが、毎日のライブで(といっても私が演奏してる訳ではないのですが)体と頭がくたくただったので今度まとめて書きます.さて昨日30日、20人以上のツアーメンバーが日本へ帰った。という私は5年ぶりのJ J Caleのライブがロスから車で1時間半ほどのSan Juan Capistranoという街に有るCoach Houseと言うライブハウスであるというので行って来た。マッケーブスと言うロスのギターショッップで金曜日に始まったと言う今回のウエストコーストのツアーだから今日はツアー4日目だ。マッケイブスも含めて今回は比較的小さい所でのツアーだとマネージャーが言っていた。そのせいか各会場ともチケットは即完売らしく今回はマネージャーに頼んでゲストで入れてもらった。
その会場はカントリー風と言うかログハウス的な作りの店で壁には有名なアーチスト(ロックアーチストに混じってかなりルーツ系やカントリーアーチストが多かった)のサイン入りの写真がいっぱいに飾られていてダグ・サムやケイト&アン・マクリゲルなどもあったからかなり前から営業していると思える.客席は6,700人といったところだが、ほとんどの客が食事や飲み物を飲むので席は長い机にイスと言う基本的に座ってみるスタイルだ。会場に入って先ず感じたのは客の年齢雄が非常に高いという事だ.まあトムスキャビンも同じようだからあまり驚かないがこちらでは珍しい.多分即完売という事で彼を知っている往年のファンがチケットを買ってしまったという事か?またもちろん音楽製からいっても男性が多いのは分るがその男性が皆さん奥さんやガールフレンド連れなのだ。そこら辺が日本と違う所だろうか。

この数年CDは出していたのにライブはやっていなかったそうで、JJにとってはなんと5年ぶりのそれもCD発売に絡めてのツアーだそうだ。前座の女の子のシンガー・ソングライターが演奏した後バンドメンバーがゾロゾロと出てくる。バンドメンバーはかなり年のいったキーボード、ベース、ドラムスにエレキ・パーカッションと言う4人にJJ Caleのギターとボーカル。僕は多分70年代終わりか80年代の初め頃、パラミノ・クラブというロスのカントリー系のクラブで彼を見たのだが、その時は確かドラムと二人だけだったと思うが(マネージャ−にそのことをいったら多分ジム・ケルトナーと二人の時だろうと言っていた)何曲か演奏したらなんとアンプの後ろへいってそこで歌いだした。お客は一瞬騒いだがその後は何ともなかった様に姿の見えないJJの唄を聞いていたと言う経験があったので、今回はどんなステージになるんだろう期待と不安で見ていた。ショーはJJのギターから曲が始まる.ほとんどの曲がそうだから多分曲順は決めてなくバックはイントロを聴いて着いてゆくというスタイルなのだろう。曲目はおなじみのマグノリア、クレイジーママ、アフターミッドナイト、コケイン、ロール・オン等は当然の様にやった。クレージーママではお客にシングアロングさせていたのには驚いた.JJケールも丸くなったのか。後で聞いたら喉を痛めているという事だったのでそれでかもしれないが声は小さめで時としてささやく様に歌っていた。そしてほとんどの曲でソロを取る、ときどきキーボーにサインを送ってソロを取らせる.インストも2曲ほどやったが(多分1曲はNo sweat)そこでも派手な動きは無くキーボードと二人でソロを取り合って終わると言うシンプルなもの。それどもお客は皆満足しているようだ.ときどきリクエストが叫ばれるがそれには答えず淡々としたステージでライブは終わった.もちろんアンコールで2曲やったが、前日までロックのライブを見ていた僕としてはなんだか物足りない感じだったがお客さんは皆満足した顔で帰って行った。ライブの後マネージャーが楽屋でJJに紹介してくれたので日本で多くのファンが待っていると伝えた。『日本か、遠いんだよな』というのが彼から帰って来た言葉だった。帰り際にまた日本で会いましょうといったら彼は笑っていた。

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2009年02月27日

SXSW

今年も3月の半ばからテキサスのオースティンで行なわれるSXSWに行く。
SXSWはアメリカ最大の音楽コンベンションでここでは今まで随分貴重なものを見たり聞いたりして来た。それに先駆けてオースティン・ミュージック・アワードというのがあって(オースティン版グラミーショー)そのなかにThe Doug Sahm Tribute w/Shawn Sahm and Augie Meyers and Alejandro Escovedoというのがあった.今でもオースティンの人達はダグ・サムを好きでときどき若手のシンガーがダグ・サムの曲をやりますなどと言うとワーッと歓声が上がる。多分シークレットゲストがたくさん出てくると思うのでこの日のこの時間はこれを見に行く事に決めた。出来れば飯田君を連れてって going to San Anton なんか歌わせたいな。絶対受けるよね。
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2009年02月09日

クレア・マルダー

ただいまクレア・マルダーのツアー中です。
今日は大阪クアトロです。ライブ凄く良いです.チェロ、ビオラ、ヴァイオリンの作り出すサウンドが心地よいです。ほぼ全員参加のコーラスがこれまた良い。ビヨンセのまねみたいなのが多い日本の女性シンガーソングライターさん達にぜひ聴いてもらいたい。お金がなくてもなんとか自分のやりたい事を形にしているところなどぜひまねしてもらいたい。広島、京都、名古屋、東京とツアーは続きます.詳しくはトムすキャビンのサイトで。
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2009年02月01日

ご招待ライブその3

さてご招待していただいたライブの3日目はJ D サウザー.彼のライブはクジラのコンサート以来だからもう数十年ぶり。彼の最初のアサイラムのアルバムのライナーノーツを書いたことがあるから、その時の曲をやってくれないかなとほのかな期待を胸にビルボードカフェへ。でも始まる寸前になっても客席がさみしい。僕の座った席は4人掛けなのに僕一人。となりも2人,奥も2人、それでもライブをやらなければいけないショービジネスの辛さ。でもご当人はいつものクールな感じで登場。ニューキッドインタウンからライブが始まった。声は昔と変わら無いけどギターがぎこちない。そして3曲目は僕が聞きたかったリヴィングウイズジーザス。これは良かった.その後は新曲も含めて淡々としたライブ。あまりうまくないギターで、それも何回かトチったり.はっきり言ってご招待していただいてこういう事を言うのは何かと思うけど,なぜか寂しい気持ちにさせられた。曲はさすがに良いのにココまで単純なライブだとその魅力も半減。新しいCDが良かっただけに残念。ギタリストでもつれてくれば良かったのに。
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2009年01月31日

ご招待ライブその2

ジェフの娘のジェニー・マルダーから連絡があってデイビッド・バーンのコンサートに招待された.デイビッドも会いたがってるしという事で渋谷のAXへ行って来た。
思いのほか客が少ない.横浜はチケットが売れなくてキャンセルされたと聞いていたので心配していたが(人のライブの入りを心配するより自分のを心配しろ!ごもっともです)ここでも最近のライブ状況の厳しさを知る。でも開演直前にはそこそこ一杯になって一安心.ただ客層がほとんど40歳以上,もしかしたらもっと上かも。若い人にとってデイビット・バーンやイーノはもう過去のものなのか?そんな事を思って居たらメンバーがゾロゾロと出て来てライブはあっけなく始まった。結果から言うとデイビッドらしい良いライブだった。僕は長いギターソロとか、延々間奏が続くようなライブは好きじゃ無いし,ボーカルにコーラスが絡むのが好きなので、短い曲で間奏も少なくコーラスのふんだんな彼のライブは僕にぴったしだった.曲目はサイコー・キラーをやらなかったくらいで他の知られている曲はほとんどやった.トーキング・ヘッド時代の曲から最近のイーノとの曲まで正にベスト・オブ・デイビッド・バーン。バックバンドのメンバーもパーカッションを入れてリズムを強化しているが,元ソウルコフィンのマークのキーボードに名前は忘れたがとても良いベース、それとバーンのギターと言うシンプルな編成。それにジェニーを含めた3人のコーラス隊。マークのキーボードとパーカッションが的確なサポートで素晴らしかった。それとバーンのギターソロがエーッと思うくらい良かった。シンプルなリズムのカッティングやちょこっとマーク・リボやエイドリアン・ブルーぽい変態がかったソロが思いのほかシンプルなバンドサウンドの中で生きていて、ギタリストとしての彼を見直した。ただ何曲目からか3人のダンサーが登場。例のバーンのふにゃふにゃダンスっぽい振り付けの入ったダンスやバレーっぽい動きのダンスを披露。これは好き好きがあると思うが、僕はときどき煩わしかった。ただこれはデイビッドの考えるトータルのライブパフォーマンスなんだろう。
3回のアンコールも含めてサービス満点の良いライブだった。
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2009年01月28日

ライブ三昧/BBBBとスタントン・ムーア

ここのところライブの招待をいただいたのでまたライブ3連ちゃんとなった。最初は26日のサムズアップでのGalacticのドラマーStanton Mooreと日本のニューオリンズスタイルのブラスバンドのBlack Bottom Brass Bandの競演。のっけからスタントンのドラムとBBBBのタイトな音に驚く.リハはやったのだろうけどそんな次元の話では無くパーマネントなグループかと思わせるほど意気がぴったり。また何年かぶりに見たBBBBも以前にもましてパワーが増したようだ。それと以前感じたブラスバンドにありがちなきちっとまとまった音というよりグルーブ優先と言ったサウンドに変わって来たような気がする。お客の乗りも悪くなかったけどあれはやっぱりバンドのグルーブに乗せられたと言うべきだろう。例によってバンドがコールアンドレスポンスを要求して掛け合いが始まったがこれは以前に大阪で見たときの方が凄かった。そこら辺は関西パワーが一枚上手だが、でもサムズのお客さんも凄くリラックスしてライブを楽しんでいた。こういう形でどんどん日本のバンドと海外のバンドがコラボレーションして行くのが増えると良いな。
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2009年01月15日

マーク・リボとマッコイ・タイナー

この間マーク・リボが矢野顕子のバックで来日した時(僕は見れなかったがドラマーは確か最近Tボーンバネットお気に入りの人でベースの奥さんとのリズム隊
は聴きたかった)最近マッコイ・タイナーとCDを作ったと言ってたので聞きたいと思っていたら、オーディオ仲間の新年会にベラマッチャ和田君が持って来てくれた。Derek Trucks, Bela Fleck, Bill Frisell, John Scofield, Marc Ribot, と言った一癖も二癖もあるギタリストのタイナーとの共演.まあベラはバンジョー弾きだけど彼だってもうとっくにバンジョーと言う楽器の枠を超えて活躍中だから別にここに入っていても何ら違和感は無い。
リズム隊は Ron Carter とJack DeJohnette.の二人.それにギタリスト達が絡む。こういう自分とは畑違いだけど尊敬する人とのセッションをやれる人達って良いなあと思ってしまう。コルトレーン・バンド時代の曲もやっていてベラのコルトレーンそっくりのソロは聞き物だし,それぞれのギタリストの持ち味も出ている。例のクロッパーとキャバリエといい、おじさん達の新しい物に挑戦する姿勢って良いなあ。去年は大物年寄りロッカーのライブが話題だったけど、去年の暮れにこのコンセプトでNYでライブがあったみたいでマークはそれに出るんだと言っていたがそれは見たかったな。お爺さんとしては他のおじさん達やお爺さん達が元気なのには勇気づけられるんだよね.今年もがんばらなくっちゃ。
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2008年12月25日

ライブ三昧/その3 ムーンライダース

もう随分前の事になってしまったが3日続けてのライブの最後はムーンライダースでした。メンバー全員そろそろ還暦に近づいて(慶一氏もアラ6なんて言ってましたが)演奏もキャラクターも余裕を感じさせてくれた。というか60才に近くなって未だにCDを作り新しい事に挑戦していて、変に年寄りじみず、かといって俺たち年だけど頑張ってるぜという押しつけがましさも無く,このくらいの演奏はいつでもやってやるぜと言うような普通な感じが凄く良かった。WHO もKINKSもSTONESも何気ない様にライブを続けているがその実、皆、健康管理とか体調維持には気を使っているはずだ。でもそれをステージで見せないところがベテラン達の凄いとろで、あまりこの年齢層の日本のバンドを見た事が無いが、(まあ数日前にオレンジカウンティーブラザースを見たが、彼らも我が道を行くという感じで頼もしかった)ライダースのメンバーも自分たちの立ち位置を分って健康管理も演奏力の維持もきちっとやっているのだろうなと感じた。
また普段のプロデュースやミュージシャンとしてのそれぞれの個人的な仕事が,良い意味でムーンライダースというバンドにとってプラスになっているんだろうと思った。全員そろったライダースを見たのは多分10年ぶりくらいだと思うが久しぶりに聞いた白井良明のギターが凄く良かったし、あうんの呼吸というのか全員がここではライダースをやるんだと言う気持ちが凄く感じられた音になっていたと思う。バンドは長く続けて行く事が難しいといわれているが,ここまで来たら全員60歳を過ぎても活動して欲しいなと思う。
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2008年12月15日

ライブ三昧/その2 山崎直也トリビュート

二日目は横浜のサムズアップでの山崎直也のトリビュートライブ。彼ともいろんな事をやろうといってたのに何も出来なかった。彼が亡くなる数ヶ月前に友人と最近山崎君見ないねと話したのだが多分その頃彼は病魔と闘っていたんだろうな。そのライブの時にもいったのだが最近の批評家の人で見た事もないのに見たような事を書く人がいて(こういう時代だからインターネットで調べればだいたいの事が分ってしまう)ああいうのはどうかと思うという話からその点山崎はすぐに見に行くから凄いよなあと彼の名前がでたのだ。
彼がアメリカから帰ってくるとよく電話をくれて何処そこに若いけど凄いのがいますよとか,これこれと言うCDが良いですよとか,テキサスや南部の僕の知らないマイナーな情報を教えてくれた。最近僕がやりたいと思っているアーチストのWayne Hancockの事も彼と二人で盛り上がったことがあった。
それといつかイナタイ感じのバンドやろうよという話も実現できなかった。僕は良く彼になんで飯を食っているの?と冗談めかして聞いたのだが,麻田さんも養老院のホストをしてるっていう噂がありますよといって切り返されたりした。
ライブは彼の友人達総動員という感じで僕も,島田耕御大と一緒にジャンバラヤを歌わせてもらった。あの山崎君のトリビュートらしく友人達によるゆるいあったかいライブだった。誰かがいっていたが今頃はダグサムやフレディー・フェンダーとセッションしてるんだろうな。それにしても彼の居なくなった今誰があそこら辺の音楽の評論したり紹介したりするのだろうか。
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2008年12月11日

ライブ三昧/その1篠田正己生誕50歳コンサート

3日間続けてライブへいった。こんな事は何十年ぶりだ。

月曜日は篠ちゃんこと篠田正己生誕50歳コンサートへ行った。それはJAGATARAのOTOのミクシーで知った。
吉祥寺のスターパインカフェの客席はほぼ一杯だった。篠ちゃんが亡くなってから16年もたつのにこうして仲間が集まって
彼の事を思い出しながら演奏すると言うなんかあったかいライブだった。そこで昔知ってた人にも何人もあった。
僕にとっての篠チャンはJAGATARAの篠ちゃんでその他の篠ちゃんをあまり知らなかったが昨日のライブや映像で僕のしらない
篠ちゃんを知ることができた。彼と知り合うきっかけになったJAGATARAを教えてくれたのはカメラマンの桑元君か
イラストレーターの八木君のどちらかだった。最初のライブはどっかの学園祭だったが僕は彼らが凄く気に入って
その後も何度か彼らのライブを見に行たりした。そのうちOTOとアケミが相談があると行って事務所に来て
インディーズでは予算的に自分たちの作りたいレコードが作れないからメジャーでやりたいし
マネージングを頼みたいと言う話だったが、その頃はシオン,コレクターズ、コシミハルなどをやっていて
手が足りなかったせいもあってマネージングは出来ないけどといってBMGレコードを紹介した。
そして彼らはBMGで『それから』と言うアルバムを作った。そのレコーディングの途中でミックスをゴドウィン・ロギーでやりたいという話になって
そのコーディネートをしてOTOとアケミ夫妻と4人でパリへ行った。パリでのアケミは凄く楽しそうだった。
その後レコード発売のライブとか何回かのライブの後帰る方向が同じだったので
何度か篠ちゃんを送って行った。にこやかな顔で音楽に対する思いや社会の不条理などを熱く語ってくれた。
その中でいまでも覚えているのは当時彼が入れ込んでいたチンドンを外国に連れて行きたいという彼の思いだった。
そのことはその後も何度か聞いた.でも僕はその後あまりジャガタラとの接触がなくなって、篠ちゃんとチンドンが外国へ行けたかどうかは知らない。
そしてアケミ,ナベちゃん、そして篠ちゃんの死で事実上ジャガタラはなくなってしまった。僕はいまでもときどき『それから』を聞きながら
メジャーのレコード会社を紹介しなかった方が良かったのではと思ったりする。
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2008年12月04日

その2

『その1もあります』
 そういう状況の中から出て来たのがニューヨークのグリーンブライアー・ボーイズであり、ボストンのチャールズ・リヴァー・ヴァリー・ボーイズ、ジム・ルーニーとビル・キースなどだ。彼らが都会から出て来たブルーグラス・バンドのハシリとなった。同じ時期にウエストコーストで活動していたのが、後にザ・バーズに入るギタリスト、クラレンス・ホワイトが居たケンタッキー・カーネルズだ。当時、ビル・モンローやフラット&スクラッグスが東部や西部の都会に行く事はほとんどなかったようで、その代 わりと言ってはなんだが、しっかりしたマネージング会社がついていたNLCRは定期的にウエス
トコーストへ出かけていたらしい。これは僕の想像だが、ニューヨークからシカゴ、デンバー(ここにも有名なフォークロアセンターがあった)ロス、サンフランシスコといったツアーだったのではないかと思う。各地2、3日で場所は小さいコーヒーハウス。例えばロスは「アッシュ・グローブ」というコーヒーハウスのみに出演したらしい。というよりもそのくらいのオーディエンスしか居なかったのだろう。
 僕も1967年にアッシュ・グローブでNLCRを見たが、後で聞くと、デヴィッド・リンドレーもライ・クーダーも、リチャード・グリーンもダート・バンドのジョン・マッキュインも、そしてカーネルズの連中も皆、そこにいたらしい。いってみれば当時、フォークやブルーグラスに興味を持っていた若者が皆そこに行っていたという事らしい。それほど「生」でこの手の音楽が聴けるチャンスがウエストコーストには少なかったという事だろう。
 また、ヴィデオも小型テープレコーダーもない時代に、実際に見聞きするというのが、彼らミュージシャンにとって一番の勉強だったということです。だから本物の南部のブルーグラスが聞きたい若者は車で大陸横断してバージニアやケンタッキーのフィドラーズ・コンベンションや野外ステージのあるミュージック・パークなどに行っていたらしい。ブルーグラス少年だったジェリー・ガルシアとビル・モンロー命だったニュージャージーのデイビッド・グリスマンが最初にあったのも、確か南部ノース・カロライナ州のユニオン・グローヴで行なわれたフィドルコンベンションだったと聞いたことがある。
 とにかく、いまほど情報網が発達していなかった当時、特にこの手のマニアックな音楽の情報が伝わるのにはタイムラグがあったようだ。
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