3日間続けてライブへいった。こんな事は何十年ぶりだ。
月曜日は篠ちゃんこと篠田正己生誕50歳コンサートへ行った。それはJAGATARAのOTOのミクシーで知った。
吉祥寺のスターパインカフェの客席はほぼ一杯だった。篠ちゃんが亡くなってから16年もたつのにこうして仲間が集まって
彼の事を思い出しながら演奏すると言うなんかあったかいライブだった。そこで昔知ってた人にも何人もあった。
僕にとっての篠チャンはJAGATARAの篠ちゃんでその他の篠ちゃんをあまり知らなかったが昨日のライブや映像で僕のしらない
篠ちゃんを知ることができた。彼と知り合うきっかけになったJAGATARAを教えてくれたのはカメラマンの桑元君か
イラストレーターの八木君のどちらかだった。最初のライブはどっかの学園祭だったが僕は彼らが凄く気に入って
その後も何度か彼らのライブを見に行たりした。そのうちOTOとアケミが相談があると行って事務所に来て
インディーズでは予算的に自分たちの作りたいレコードが作れないからメジャーでやりたいし
マネージングを頼みたいと言う話だったが、その頃はシオン,コレクターズ、コシミハルなどをやっていて
手が足りなかったせいもあってマネージングは出来ないけどといってBMGレコードを紹介した。
そして彼らはBMGで『それから』と言うアルバムを作った。そのレコーディングの途中でミックスをゴドウィン・ロギーでやりたいという話になって
そのコーディネートをしてOTOとアケミ夫妻と4人でパリへ行った。パリでのアケミは凄く楽しそうだった。
その後レコード発売のライブとか何回かのライブの後帰る方向が同じだったので
何度か篠ちゃんを送って行った。にこやかな顔で音楽に対する思いや社会の不条理などを熱く語ってくれた。
その中でいまでも覚えているのは当時彼が入れ込んでいたチンドンを外国に連れて行きたいという彼の思いだった。
そのことはその後も何度か聞いた.でも僕はその後あまりジャガタラとの接触がなくなって、篠ちゃんとチンドンが外国へ行けたかどうかは知らない。
そしてアケミ,ナベちゃん、そして篠ちゃんの死で事実上ジャガタラはなくなってしまった。僕はいまでもときどき『それから』を聞きながら
メジャーのレコード会社を紹介しなかった方が良かったのではと思ったりする。
2008年12月11日
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