近況報告せよと言うミキシーからのおしかりで人のところに書いたものでかなりマニアックですけど載せます。
その1、(続きはそのうち)
1960年当時の音楽産業の中心はなんと言っても東海岸だった。中心はニューヨーク、それに比較的近くのボストンによりアカデミックな音楽シーンがあり、シカゴがそれに続くという状況だった。
西海岸はというと、やはり中心はサンフランシスコ(バークレーを含む)だった。クリス・ストラックウィッツのアーフリー・レコードもシスコの近くだった(当時の場所は知らないが、3年ほど前にお店に言ったら本人はしごく元気そうだった)。ロスアンジェルスには映画会社のワーナー・ブラザースから独立したW-B Recordsがあったが当初はポップスやサウンドトラック中心で、あまりアカデミックな動きはなかった。西海岸の老舗レコード会社のキャピタル・レコードもビートルズが出てくる前まではポップスとカントリー、それにランディー・ニューマンのおじさんのアッルフレッド・ニューマンなどの書く映画音が中心のレコード会社だった。ただフォーク界最大のヒット曲と
なったキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」はサンフランシスコで結成されたグループがロスのキャピタル・レコードからリリースしたレコードだった。
というような状況の中、カレッジフォーク以外のトラディショナルフォーク、ブルース、ブルーグラスといったルーツ音楽は東海岸中心に広まって行った。その中心地がグリニッチビレッジのワシントン・スクエアーだった。そこでは週末に多くのニューヨーク在住のアーティスト/ミュージシャンが集まりジャムをして情報交換をしていた。
バンジョーに関して言えば当時最高のプレーヤーといわれたロジャー・スプラング(当時、ニューヨークでただ一人、スクラッグス・スタイルのスリーフィンガースタイルのバンジョーが弾けたという人。シャンティボーイズ/フォークウエイズにバンジョーのレコード有り)、エリック・ダーリング(タリアーズ〜ウイーバーズ〜ルーフトップシンガース)、ディック・ワイズマン(ジャーニーメン)、エリック・ワイズバーグ(グリーンブライアー・ボーイズ〜タリアーズ)等が有名で、ほとんどのプレーヤーはアール・スクラックスを生で見た事さえなかったと言う。
そういう中でトラディショナルな音楽をニューヨークに紹介したのが、『Friends Of Old Time Music』 (彼らがやったコンサートの未発表音源が聴ける3枚組CD集『Friends of Old Time Music: The Folk Arrival』がスミソニアン・フォークウェイズから出ている)という組織だった。1957年にグリニッチビレッジに開店したフォークローセンターというフォーク専門のお店の経営者、イージー・ヤング、プロモーターで後にジュディ・コリンズ他のマネージャーになるハロルド・レーベンソル、当時若手のフォークローリストでニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(NLCR)のジョン・コーヘン、グリーンブライアー・ボーイズのラルフ・リンズラー他の人達が中心になってFOTMでドック・ワトソン、ロスコー・ホルカム、フレッド・マクダウエル、ビル・モンロー、メイベル・カーター、ミシシッピ・ジョン・ハートといった、当時南部以外ではライブをやった事のない人達のコンサートをニューヨークでやった。
2008年12月04日
この記事へのコメント
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Posted by shoe heel lift at 2013年07月25日 03:09
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