And we Caught the bloody British in a town in New Orleans.
と1814年を頭に持ってきている。この曲ではアンソニー・ジャクソン将軍がニューオルリンズへ行きイギリス軍と戦う事を歌っている。余談になるがニューオルリンズへ行くとこの戦場へ船で連れて行ってくれるツアーがある。行くと何にも無いところだが歴史に興味のある方はどうぞ。また僕は1967年のニューポート・フォーク・フェスティバルのワークショップでこのジミー・ドリフトウッドに”なんであなたの唄は最初に年の事がでてくるのですか”と質問した。当時の僕の英語力なのできちっとは覚えていないのだが、彼は”先ず年を言って皆にその時代にはいってもらうんだ。そうすると唄にリアリティーがでてくる、そしてその年を覚えたある人はその時代の事をもっと知りたくなるし、ある人は自分の家族や先祖がその時代にどうしていたかを知りたくなる,そうして自然に歴史に目を向けるようになるのさ”と歴史学者らしい答えが返ってきた。話が横道にそれたがもう一つ,これは自分でかったCDでは無いので確かではないのだがトム・ウエイツの訳詞で確か’58Mercというのがあって訳詞者は58年型メルセデスと訳していた,これは明らかに58年型マーキュリーと訳すべきだ,まあ車に興味の無い方には分からないと思うが50年代60年代にはアメリカには実に多くの車が存在していてジェネラルモータース、フォード、クライスラーのビッグ・スリーが毎年のように新しいスタイルの新車を出していたのだ。その中でマーキュリーはフォードのラインアップの中ではリンカーン・コンチネンタル、リンカーン,と言った高級車と廉価車フォードの間にいる中級車と言ったところだった。(いつだか忘れたがジェネラル・モタースの豊富なライン・アップに追いつこうとフォードはエドセルというユニークなデザインの中高級者を出すのだが失敗に終わる。)
アメリカの映画や小説の中で車の果たす役割は大きい。まあ最近はハリウッドのスターも日本製ハイブリット車に乗る時代だからもうそんな事は言えないかもしれないが、かってのアメリカでは何という車に乗っているかでその人の事が大まかにつかめるみたいなところがあった。当時のアメリカでは新車を買うという事がその人のステイタスの一つで廉価版がフォード社はフォード、GM(ジェネラルモータース)社はシボレー、クライスラー社はダッジ、その上の中級車はフォードのマーキュリー、GMのビュイック、オールズモビル、ポンティアック、クライスラーのデソート、プリムス、高級車はフォードのリンカーン,GMのキャデラック、クライスラーであればインペリアルという布陣だったと思う。各モデルにはそれぞれ2ドア、4ドア、ステーションワゴンという基本形があってそれに細かいモデル名が付いて幅広いセレクションが可能だったが基本は高級、中級、普通車という布陣だった。だから,各家庭は自分の収入に合わせてこの中からチョイスした訳である。だから映画のバックに車がでてくるだけで何年頃のどこら辺などという事が想像できたし,この家はビユイックに乗っているから中流の上クラスの家だな,と言った事が想像できた。作家達も車を使ってその人物を表すような文章が多く見られる。ただこれは5、60年代の事,それも新車を買うような普通の人達を対象にしたもので、トムの唄にでてくる58年のマーキュリーは唄が書かれたのが70年代だとするともうだいぶ使い込まれたポンコツの中古車に乗ってる人と言う事になる。訳詞にでてくるメルセデス・ベンツのような欧州車は当時は大金持ちかエンスウな人の乗る車で間違ってもトムの唄にでてくるような人がベンツに乗るという事は無いのである。トムの唄には僕らの知らないそういったアメリカならではの価値観みたいなものや比喩が歌詞の中にいっぱい入っている,それを解き明かすのまた一つの楽しみではある。年寄りの小言見たいになってしまったが気になったので一言。
