マリアはニューヨークそれもリトル・イタリーやビレッジ周辺と言うニューヨークのダウンタウンで生まれ育った。仕事をしていた母親が忙しかったので時々マリアを妹さんに預けていたそうだ。その妹さんと言うのがイタリア系の人には珍しくカントリー・ウエスタンが好きでラジオやレコードで当時のカントリーのヒット曲を良く聞いていたそうでマリアも知らず知らずに,ハンク・ウイリアムスや,ロイ・エイカフ,アーネスト・タブ等を聞きそれに合わせて歌う様になって行ったそうだ。彼女が7歳のあるとき皆が集まったときに初めてキティ・ウエルスのヒット曲“It Wasin't God Who Made Honky Tonk Angels"を歌った。(この唄はハンク・トンプソンのWild Side Of Life のアンサーソングとしてキティ・ウエルスが歌って大ヒットした曲だが,ただキティ・ウエルスのヒットは1952年,彼女はもう10歳になっているはず,まあ人の記憶なんてそんなものですが)その唄を聞いたマリアの母親は激怒したそうだ。唄の好きなマリアには出来ればオペラ歌手になってほしいと思っていたお母さんにしてみれば当然だ。でもその後も母親の期待を裏切る様に、彼女はカントリー、フォーク、ブルースとオペラからはどんどん遠ざかって行ったのは皆さんも良くご存知だろう。でもこれだけ成功したのだからお母さんも今は良かったと思っているのでは。
彼女曰く、『私の声がひっくり返るファルセット唱方は当時良く聞いていたカントリー、特にハンク・ウイリアムスの影響が大きいの』マリアとハンクの思わぬ関係でした。
2008年03月04日
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