2008年06月27日

ジェフのツアー終了

ジェフのツアーが終わった.二人だけのツアー、正直言って疲れた.終わった翌日久しぶりに一日何もしないで会社を休んだ。
いろんな話が聞けたし,毎日の様にうどんを食べたし、懐かしい人にも会えた。
山口でずっと会いたいと思っていた福屋さんに会えた。福家さんは1980年にやったあの幻の一回目のトニー・ジョー・ホワイトツアーを
福山でやってくれた人だ。確かもう一つやってもらったのだがそちらは忘れた。その時は福山(会場忘れました確か小さなホール)京都(確か拾得)
それに東京(新宿の今はない古い方のロフト)の3カ所だった。オーストラリア・ツアーの帰りでスケジュールも限られていたのだが、時代はシンガーソングライターから
ニューウエーブへと言う時代だったから、やってくれる所が東京以外ではこの2カ所だけしかなかった。あの当時福山で外タレのライブなどやってる所はなく、
正直僕も心配だった。それでも福屋さんは頑張ってくれてなんとかやる事ができた.その後もう一回ライブをやってもらって、トムスも倒産して
2度と彼と会う事はなかった。また風の便りに福屋さんが離婚してどこかへ言ってしまったと聞き、
あの2つのライブが原因だったのではと密かに申し訳なく思っていた。そんな彼がジェフの山口のライブに来てくれた.
ライブの後ちょこっと飲んだんだが今は学校の先生をやりつつラジオでDJもやっていて、この間もジェフをかけましたよと言ってくれた。
久しぶりにあの当時の音楽に対する熱い思いを語りまた思い出した。
ああいう熱い思いでライブをやる事が出来ない今,トムスキャビンをやって行く意味が何処にあるのだろうかと考えてしまった。

また今回のツアーの最後はジェフの希望もあって釧路の鶴居村にあるヒッコリーウインドでやった。
オーナーの安藤さんのご好意でジェフ念願のバードウオッチングに僕も付き合って初のバードウオッチングを体験した。
(トムスのサイトにその時の写真が載っているので見てください)小さな沼にカヌーを漕ぎだして鳥のいそうなポイントで静かに
待つのだが、なんと2種類のキツツキを見た。それは非常にラッキーだと安藤さんが言っていたが僕はキツツキを見た事より
その自然の中で音を出さずに耳を澄ますと言う事に感激した。普段音を聞くことを仕事にしていると,また都会に住んでいると
何も音のない世界と言うのをあまり体験する事がない。しゃべり声もなく、カヌーがすーっと水面を走る音や
鳥の鳴き声に耳を澄ませていると、今まで体験した事のない何かを聞こうとする自分の耳と、何も音のしないことの精神的な幸せ感が
入り交じって初めて体験する複雑な気分だった。また気のせいかもしれないが風が水面をなでるような音が聞こえたような気もした。
その時に思いだしたのが高校生時代に学校の旅行で何処だか忘れたが山へ言ったときに
僕ら音楽好き生徒が当時のはやりのトランジスターラジオを聞きながら山道を上っていて担任の先生に『お前等ラジオを聞くのを止せ
ここまで来たら自然の音に耳を傾けろ』と言われてなんにも聞こえねーじゃねーかとふてくされた事を思いだした。
なんにも聞こえない事やかすかに聞こえる自然の音を聞くと言う贅沢を今回ほど感じた事はなかった。
昔、野原でレコーディングしたヘロンのCDを聞きたくなった。
posted by 麻田 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年06月08日

ツアーこぼれ話(ジェフ・マルダーその2)

フリッツ・リッチモンドがラヴィング・スプーンフルの名付け親だと言う事は良く知られているが、ジョン・セバスチャンはフリッツにスプーンフルのメンバーになってほしいと誘ったのだが断られたそうだ。そこでジョン・セバスチャンは背が高くてやせていてフリッツ似のスティーブ・ブーンをベーシストにしたという。これはスプーンフルの事は何でも知っているという昔のグルーピーが言った事だから間違いないよとジェフが言っていた。最終的にジョンはJバンドでフリッツとバンドメーツになったけどあんなに早くフリッツがいなくなるとは思ってなかっただろうな。僕らもそうだけど。

ジム・クエスキンは今では50人以上の社員を使う成功した邸宅コーディネーターだが、バーバラ・ストレイザントから依頼があったと聞いたジェフがかの女はわがままで大変だったでしょうと聞いた所、ジェフ、マリア、リチャード・グリーン、ビル・キース、をまとめてた俺にとってはなんて事はなかったと言ったそうだ。前の3人は分かるけどビル・キースはどうしてなんだろう。まあクエスキン・ジャグバンドのリユニオンコンサートの時、本人は来たのにバンジョーを持ってこなかったなんて話があるからやはり大変だったのかな。

もう一つジムの話、あるときデイビッド・ゲフィンから仕事の依頼が来て会いに行くと、ゲフィンが『昔アルバート・グロスマンの事務所で皆さんがミーティングしているとき隣の部屋にいた若いエージェントを覚えていますか』と聞いたんだそうだ。そういえばいたねとジムが答えると、『当時クエスキン・ジャグバンドのブッキングをしていたのが僕ですよ』と言われて驚いたそうだ。当時のアルバート・グロスマンの事務所はディラン、クエスキン・ジャグバンド、イアンとシルビア、バターフィールド・ブルースバンド、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンドと飛ぶ鳥を落とす勢いのあった事務所で、プリンストン大学を卒業したばかりの若きデイビッド・ゲフィンは新入社員としてジムクエスキン・ジャグバンドのブッキングを担当いたと言うお話。今や映画のプロデュースもやっている大物デヴィッド・ゲフィンがウイリアム・モリスというメジャーのエージェンシーにいた事は聞いたことがあるがグロスマンの事務所にいたとは知らなかった。

ジェフが初めてニューオルリンズを訪れたのは1961年だそうだ。
18歳のマルダー少年は一人で彼の幼い頃のアイドルであるニューオルリンズのジャズプレイヤー達の演奏を聴きたくてヒッチハイクでニューオルリンズまで行ったそうだ。お目当てのジョージ・ルイスやキッドなにがし(ニューオルリンズにはキッドという名前のミュージシャンが沢山いたのでジェフが誰の名前を言ったか忘れてしまいましたが)がプリザベーション・ホールで演奏するのを聴きに一ヶ月くらい毎日通ったそうだ。最後にはオーナーがただで入れてくれて彼らの演奏を聞かせてくれたそうだが、多分そこでジョージ・ルイス達が演奏するsomebody stool my girlとかSt Lous Bluesなどを聞いたのだろうな。当然ながらその頃はプロフェッサー・ロングフェアーやDr、ジョンなどはまだ知らなくて、ポップスのファッツ・ドミノ辺りしか知らなかったそうだが、でもこの時の体験がその後の彼の音楽に大きな影響を与えた事は間違いないだろう。18歳でジョージ・ルイスを聴きにニューオルリンズに行くなんてかなりの早熟であり、普通の子供ではなかったのだと思う。
posted by 麻田 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年06月03日

ツアーこぼれ話(ジェフ・マルダーその1)

ジェフと話していて驚くのは彼が普段はベートーベンやチェバー・ミュージックを聴いていたり,スピナースのフィリップ・ウインのボーカルがが最高だといったり,アレンジではフィリーサウンドのプロデューサーのトム・ベルからの影響を受けていると言ったり、グランドマスター・フラッシュが出て来たときには驚いたと言ったり,ジュージア・シーアイランダースのアカペラが好きだなど、など、フォークアーチストとの話とは思えない事を毎日聞かされている。まあ 50年代から実際に生で多くの音楽も聴いていたのだしワンダフルタイムなどを聞けば彼が一般的なフォーク歌手とは違うと言う事は分かるのだが、分かっていても彼の音楽的な知識が非常に広範囲に渡っている事に驚かされる。そこら辺が彼が細野君を敬愛する理由だろう。僕も両人の音楽的な知識にいつも驚かされているから二人が対談したらさぞ面白いだろうなといつも思っている。そんな事でディランがやったDJのコンピCDにも驚かされたがジェフの懐の深さにも毎日脅かされている。その中のいくつかの話:彼が7、8歳の頃年上のお兄さんがかけていたSP版でイントロクイズのような事をやっていて兄弟の中では彼が一番早く曲名を当てていたという(シドニー・ベッシエやサッチモなどが好きだったという)
14歳の頃買った初めてのレコードは(78回転のSP)エルドラドスのドーワップだったといった事や同じ頃ハービー&ムーングローズをブルックリンのパラマウント・シアターで見た事とか。
その後入ったプレップ・スクールでルームメートになったワーウック・ボイド(ジョー・ボイドのお兄さん)とレコードを集め始めたこと,その頃のコレクションはワーウイックと一緒に探したジャズのSP,LPが中心で、その後いわゆるジャズの歴史シリーズのLPの中にはいっていたレッドベリーや,ジョシュ・ホワイトを聞いてフォークに興味を持ち始めた事、などなど興味は尽きない。昨日は僕が実家から持って帰って来たシングルレコードの中にあったトリオ・ロス・パンチョスの話をしたときにも、『僕も持っているよ、その後いっぱい出て来たパンチョスじゃなくてオリジナルのね』と言われたのには驚いた。アメリカ人でトリオ・ロス・パンチョスを知っている人は珍しい。
posted by 麻田 at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記